那須みふじ幼稚園では、長年掲げてきた「シュタイナー幼稚園」という呼称を使わないことにしました。 以下に、その理由を記しておきます。
2007年4月、新しく園長に就任したのを契機に、教職員一同でこれまでやってきた保育の内容を丁寧に見直し、その意味について考え、さらに深める努力を続けてきました。 その過程で、「シュタイナー幼稚園では…」といった言い方で、これはいけない、あれもいけないといったさまざまな禁止事項やマニュアルのようなものが一人歩きしていて、とても不自由な雰囲気があることを感じました。 本来、シュタイナーが目指した教育のあり方は、みんなが自由に、自分らしさを発揮できる環境をつくることであったはずなのですが、「シュタイナー幼稚園」という呼び方がかえって一人ひとりの行動を縛る窮屈なものになっていることに気づいたのです。
ルドルフ・シュタイナーは20世紀の初めに、ヨーロッパで活動した思想家でした。 シュタイナーが目指したのは、何よりも自然や宇宙、他の人々、そして自分自身を「あるがままに見る」ことでした。 そして、シュタイナー自身が見てとったことを一つの人間学、世界観として表現しました。シュタイナーが創始した教育には、二つの柱があります。 一つは子どもの発達について、つまり人間について学ぶことです。 これはシュタイナーの人間学だけではなく、現代のさまざまな知見を学ぶことも含まれます。 もう一つの柱は、教育者が自分自身の「眼」をもち、一人ひとりの子どもをあるがままに見ることです。 そして、外側から大人の価値観やものの見方を押し付けるのではなく、子ども自身がもっている可能性を引き出すことを目指すのです。
そのように一人ひとりが自分の眼をもち、自分が向き合っている相手(対象)に即して考えることは、シュタイナーにとって「自立した人間」のあり方を意味していました。 そして、そのような自立した人間たちがお互いに意見を交換し、理解し合おうと努力するなかで、本来の「人間の知恵」が生まれると考えたのです。
第一次世界大戦後の混乱のなかで、シュタイナーはヴァルドルフ・タバコ工場の経営者の依頼で、工場の労働者の子どもたちのために学校を創設しました。 当時のドイツでは、子どもたちの進路は社会階層によって、早い段階から決まっていました。 それに対して、シュタイナーは、すべての社会階層の子どもたちが12年間(小学校から高校まで)の教育を受けられる総合学校を提供したのです。 そして、この12年間のなかで、子どものその時々の発達段階にふさわしい授業を行うことで、一人ひとりの子どもが自分の眼をもち、自分で考え、自分自身が自分の人生をどう生きたいのかを決められるようになるまでの成長過程を支えようとしました。 この学校が評判を呼び、この学校をモデルにしてヨーロッパから世界各地へと広がっていった学校は「ヴァルドルフ学校」と呼ばれるようになりました。 この名称は、その発祥の起源であるヴァルドルフ・タバコ工場に由来するものでした。 日本ではおもに「シュタイナー学校」「シュタイナー教育」として紹介されています。
したがって、「ヴァルドルフ教育」の基本は、すべての子どもが本来の可能性を十分に発揮できるように、その発達過程を支えたいという願いであるといえます。 そのとき、シュタイナーの人間学は、子どもを理解するための重要な手がかりではあっても、それに寄りかかったり、その名前のもとに他の立場を否定したりするものではありえません。
以上のような考え方を教職員一同で話し合った結果、私たちの幼稚園では「シュタイナー幼稚園」という呼称は使わないことにした次第です。 しかし、私たちが目指していることは、シュタイナー自身が目指したところにつながっていると信じています。
実は、シュタイナーが生きていた頃は、「ヴァルドルフ学校」はあっても、まだ「ヴァルドルフ幼稚園」はありませんでした。 しかし、シュタイナー自身は幼稚園の必要性を何度も強調していました。 シュタイナーの死後、彼が幼児教育について語ったことや、彼の人間学を基盤にして、最初の「ヴァルドルフ幼稚園」が誕生しました。 そして、現在では世界各地に、1,500園ものヴァルドルフ幼稚園が存在しています。 そして、それらの幼稚園が相互にネットワークをつくり、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジアのさまざまな異なる文化や社会状況のなかで、どうやったら本当に現実の子どもたちのためになる保育を実践していけるのか、具体的な研究や意見交換が行われています。
私たちの那須みふじ幼稚園は、「シュタイナー幼稚園」という呼称は外しますが、その精神においては、かつてシュタイナーが非常に重要視した「人間の原点」に関わる幼児教育という尊い課題に、誇りと責任をもって取り組んでいきたいと思います。 そして、世界のヴァルドルフ幼稚園のネットワークともつながりながら、那須の地域社会や父母の皆さんとの信頼関係のなかで、自分たちが本当に納得できる保育を目指していきたいと思います。
※ この文章を書いてから10年が経過しました。この間に東日本大震災が起こり、放射線汚染も身近な問題として経験しました。子ども・子育て新制度という幼稚園業界にとっては根本的でかつ混沌とした変革にも見舞われましたが、皆様の暖かいご支援のおかげで、私たちは右往左往しながらも今、ここに立っています。現在、これまでの40年余りの経験のなかで積み上げてきたものを見直し、私たち一人ひとりがまた新たな一歩を踏み出そうとしています。そのプロセスをこのウェブサイトの中にも反映させていきたいと思います。これまでのご厚情に感謝しつつ、さらなるご支援をよろしくお願いいたします。