第1回「みふじのつどい」より 平成19年4月19日
那須みふじ幼稚園園長
高橋明男
今の時代は都会よりも地方のほうが車社会になっているので、かえって都会の子より那須の子の方が現代社会の影響を受けているのかもとの声を聞きました。
今日、お話をするのに「今どきの子どもたちとみふじの保育」ということにしたのは、そういう所とみふじの保育のめざしている所というお話をしたかったのです。
この幼稚園でずっとやってきている保育を園長として引き継ぐ事になったのですが、園長が交替しても変わるところはそうは無いと思うのです。
今までやって来た一つ一つの良い事は続けて行きたいと思います。 それには、みふじがして来た事の良さ、それを再認識する必要があると思うのです。 例えば、なぜ「ひな祭り」「七夕」とか「クリスマス」等の四季のお祭りを大事にするのか。 …僕自身も教職員もそれから、できたら父母の皆さんも一緒になってその精神を深く考えて理解することが出来たら大きな変化になると思うのです。 …そういう意味で今までやってきた一つ一つの良いことはそのまま続けて行きたいと思っています。
これと関連するのですが、もう一つ大きく変わることは父母の皆さんの声を聞きたいという事です。 保育というのは、幼稚園だけで出来ることではなく、もちろん、園が責任を持ってお預かりするわけですけれども、これは父母の皆さんと教育者が力を合わせて可能になることだと思うのです。 ですから、今まで以上に父母の皆さんの声を聞きどういう事を考えていらっしゃるかを知りたいと思っています。 そういう意味もあって「第1回みふじのつどい」というものを試みに始めたのです。
祖母が教えてくれた「朝の祈り」
みふじ幼稚園は僕のお祖母ちゃんが約30年前に始めた幼稚園なんです。 このお祖母ちゃんという人が那須の自然の中で自分の理想とする保育をしたいということで始め、母の代になってシュタイナーというドイツの教育の考え方を取り入れ実践する様になったのです。 その時に僕のお祖母ちゃんが非常に新しいものに対する感覚のすぐれた人で、自分で出掛けて言ってシュタイナー幼稚園を見学して、これが良いからぜひやったらと母に勧めてくれたそうです。 お祖母ちゃんがその中で、見つけ、これが良いと思ったのが玄関の左側にあるお祈りの言葉なんですね。 お祖母ちゃんは昔の人で全くクリスチャンでも無かったのですが、あの言葉はすごく気に入ったみたいです。 それで、自分の手で幼稚園のために書いてくれたのです。
入園式でも聞かれたかと思いますが、この幼稚園では普段から子どもたちも、教職員も唱えている言葉なのです。 実はこれは夕べの祈りなのです。
「私は心にも両手にも神様の働きを感じます。 私が口を開いて話す時、私は神様の意志に従います。どんなものの中にも、動物や草花や木や石の中にも神様の姿が見えます。 だから私もまわりには怖いものはなにもありません。 私のまわりには愛だけがあるのです。」
ふつうの大人の人が聞くと気持ち悪いくらいの美しい世界を描いているのですが、お祖母ちゃんはこれを教職員の人たちにも、朝これを唱えてから1日を始めるように言ったんです。 何も、夜寝る前の夕べの祈りを朝唱えることは無いと僕は正直恥ずかしかったのですが、今朝、眼が覚めた時僕がすごくバカだったなということが分かったんですね。
お祖母ちゃんは、幼稚園の先生たちにこういう雰囲気を、幼稚園の中に満たして欲しいと思ったのでしょう。 なぜ、夜寝る前に子どもたちに唱えるのかと言うと、今のこの世の中は、決して愛に満ちている世界では無くて、勝ち組、負け組という言葉が流行ったり、車が無くては生活できない様なつらい現実社会があるわけです。 じゃあ、そういう時に生まれてきたばかりの子どもに、この世界はつらい世界だから他人を蹴落として生きて行かないと、お前が潰されるんだよと言う事を伝えるんではなく、せめて生まれてから7~8才の間は、この世界は愛に満ち溢れているんだよ。 少なくともお父さんやお母さんである私たちはあなたの回りに愛を満たしているからね。 と言う事を伝える事、特に眠りの世界に入って行く前に親が伝えてあげる事がすごく大事だって、この祈りの言葉を書いたシュタイナーが思ったわけです。
僕のお祖母ちゃんは、先生方がそのシュタイナーの思いを理解して、この幼稚園が本当に愛に満ちて、安心して過ごしていられる、そう言う場所を作って欲しかったのです。 だから、この夜寝る前のお祈りを、わざわざ玄関に書いてそれを教職員にも唱えるように言ったのかなとやっと分かったのです。 それをまず今日は皆さんにお話したいと楽しみにしていた部分です。
なぜ幼児期にその様な愛が必要だったり、こういうきれいな雰囲気が必要かと言う話をするところから、みふじ幼稚園の保育の特徴が見えてくるのではと思うのです。
ウサギとカメのお話
話が飛びますが、皆さん「ウサギとカメ」の童謡をご存知だと思うのですが、今日のチラシにも「ウサギとカメ、そしてゾウさんの秘密」と書いたのですが、そこには僕が密かに発見した秘密があるんです。 歌詞を思い出していただきたいのですが「もしもしカメよ~世界の内でお前ほど歩みの鈍い者はない、どうしてこんなに鈍いのか?」とウサギさんが言うんですね。 その時カメさんは「何とおっしゃるウサギさん~それならお前と駆けくらべ」でしたっけ。 とにかく駆けくらべをするんですね。 これを普通に歌っていたのですが、ある時すごく不思議な事に気づいたのです。
なぜかと言うと、ウサギさんはただ、「なんでそんなに歩みが鈍いのか」と問いかけているだけなんですね。 普通だったら、「それはね」って自分は走るのが苦手とかうんぬん考えて答えると思うんです。
でも、カメさんはそこでキッとむきになって「何とおっしゃるウサギさん」と言って急に駆けくらべの世界に入ってしまうんですね。
そう言うカメさんがいて競争をして勝って努力しました。 という、まあ、人間、人生努力が大事と言う話になるんですが…。
実は、掛け合いとしては不思議で変な所があるんだなあと気づいたんです。 同じ事に気づいた童謡作家がいて、「まど みちお」さんと言う方なのですが、この方がゾウさんの歌詞を書いています。 ゾウさんの歌は「ゾウさんお鼻が長いのね~、そうよ母さんも長いのよ」となるのですが、長い事を聞かれてキッとならずにそうよ母さんも長いのよ。 と答えるんです。 「まど みちお」さんはその理由を、「子どものゾウさんはお母さんの事が大好きで、とっても尊敬していて、自分もお母さんと一緒だと思える事がとても幸福なのです。 鼻が長いと言う事は、他の動物の中で一つの特徴ですよね。 人間で言うと、皮ふの色が黒いとか、一人だけ大きかったり小さかったり、かけっこが早かったり遅かったり、物覚えが良かったり悪かったりという、ちょっと目立った特徴があったとしても、お母さんを大好きで尊敬できれば、ゾウさんの子どものようにお母さんと一緒なのと答えられるんです。」と書いてありました。 それはすごいな~と思うんですけれども…。
まねをすることの大切さ
実は、子どもと言うのはそんな事をしてはダメとかうそをついてはいけないといくら言葉でお説教しても、決して分かってくれないんですね。 では、どうしたら聞いてくれるのかというと実は大人のまねをさせることなんです。 逆に幼稚園で遊んでいる様子を見ると、だれのまねをしているのかすぐに分かります。
例えば、少しすました感じの女の子の仕草を見て、お迎えに来たお母さんを見るときれいにお化粧して上品で、少しすましたような方だったり…、子どもの遊びの中で周りの大人がしている事がそのまま反映されて行くのです。
お母さんがお鍋をかき混ぜて料理したり、洗濯物をたたむ。お父さんが日曜大工で、あるいは親でなくても大工さんがトンカチやカンナでトントン何かを作る。 そのまねをしたくて子どもは近づいてきて、やがて子供同士の輪の中にそのまねが出来ているのです。 そうして、洗濯や料理大工仕事などを身につける。 それを早いうちからオリジナリティーとか独創性を育てなくてはいけないと、「人のまねをしてはいけません」と言う事は、実は子どもの事が全然分かってないのです。 子どもというのは学習の仕方が違うわけで、頭からではなく体の動きから入るのです。
言葉くらい不思議なものは無いですね。 言葉が学問の世界でもどうして出てくるのかよく分からないのです。 自分の周りの人たちがしゃべっている事を覚えていつしかペラペラになってしまう。 ちょうど、その様に幼児期は全部まねをする事によって体から入っていくのが特徴なんです。 その前提が、大好きな誰かと一緒と言う事なんです。 ゾウさんの歌はそれをよく表しています。 当たり前のようでいて、実はなかなか気づかない事でもあるのですが…。
「五体不満足」の乙武さんも、幼稚園に入園した時、他の子どもたちが駆け寄ってきて、どうして手や足が無いの?って残酷な事を平気で聞くんですね。 乙武さんが「お母さんのお腹の中で病気になったから手や足が出来なかったんだよ」って言うと子どもたちはふう~んと納得して、後は一緒に遊び始めたそうです。
子どもの世界に常識は無くて、知らなくてめずらしいものに出会うと、どうしてと聞くけれど、その時冷静にきちっと説明してもらうと納得するんですね。 それが子どもの世界で、大人の常識と言うものは無いんですね。 乙武さんのお母さんが彼が生まれた時に彼を始めて見て、内心可愛いと思ったように、大人たちが自分の事をありのまま認めてくれると言う安心感がある。 それが幼児期にはすごく大事な事なのです。 …実はそれがシュタイナー教育の考え方でもあります。
子どもの個性が育つためには
いずれ、大人になれば競争社会に出るのだし手に職を付けたりした方が生き易いのは確かだと思います。 だったら、幼稚園時代からビデオや英語教材を使ってそうした方が良いのかというと、それは違います。
その理由の一つは、その子の個性がどう成長するのか? それは遺伝子、ゲノム情報でも分かってないのです。 ですから、何かを押し付ける事は可能性を狭めてしまう結果になるからです。 ビル・ゲイツは子どもの頃からコンピューターに触れてきたのではなく子ども時代は野山を駆け巡っていました。 色んな遊びや体を動かし内から可能性を引き出す事が大切です。 親がこうあれと期待をかける事が可能性を狭めてしまうのです。
もう一つの理由は子どもの体です。 8~9才までは神経系の細胞が分裂して成熟する時期だと言うことです。 テレビやコンピューターは情報量が多すぎて目や耳の神経系(五感)に負担が多すぎるのです。 自然による豊かな感覚の刺激を充分味わうと本来の型で神経系が成長するのです。
今時テレビを見せない事は無理かも知れないけれど、幼稚園や親が連絡を取り合って出来るだけ皆で減らせれば仲間はずれになりにくいと思います。 テレビやパソコンの画面はバランスのとれた感覚を育てないので幼児期は控えてほしいというのが教育者としての願いです。
教育者も言い放しは良く無いです。大人は子どもたちをストレス社会に送り出さねばならないのですから、しっかりと自分を守れる様な基礎を幼稚園で提供して行きたいと思います。 子どもは安心できる大人たちのそばで模倣しながらのびのび成長して行く。 そう言う意味でシュタイナーは学校よりも幼稚園の方がずっと大事だと言っています。
働くお母さん方が多くて、今の忙しい生活の中では再現するのが難しい失われた生活のあり方を現代に提供するために幼稚園があるのです。 だから、このみふじ幼稚園では、先生方ができるだけ手仕事をしたり催しの準備をし、バスの先生が大工仕事や畑仕事を見せる普段見えないことを頭ではなく体で学ぶ、そうやって基盤ができれば小学校、中学校に行って頭を使った勉強ができるようになるのです。
逆に頭ばかり使っていると神経系がバランス良く育たないのです。 クラス担任は、子どもたちが大好きでそのために勉強してきた人たちです。
どうぞ、良くコミュニケーションをとって何でもお話をして欲しいと思います。 大人同士がコミュニケーションをとって行くことが何よりも大切な事です。